「人間の美術」ー2(監修・梅原 猛)

 「人間の美術」(監修・梅原 猛)

 @ 六段くびれの大深鉢  長野県富士見町・藤内遺跡

 この複雑な土器を見て欲しい。同じように蛇の文様が中心ですが、この胴の部分は六段階に分かれ、一つ一つに奇妙な模様が付せられているのである。「大」と言う字を逆さまにしたような文様があり、「水」という字を横にしたような文様もあり、又はっきりとした五つの線が描かれているので、これは一種の絵文字ではないかという人もいる。確かにそれはどこかで象形文字の感じさえするのである。

 中国においても、エジプトにおいても文字の源は象形文字であった。この、絵のような文字のような文様も、或いはそういう象形文字の起源であったかもしれない。その時代にその地方の人は、彼らだけに通用する文字を持っていたのであろうか。この土器はそんな空想にさえ我々を誘うのである。私もこの文様は単なる装飾文様ではないと思う。何かの意味をこの文様に託しているのである。

 或いは民族創生の物語をこの文様に託したのかも知れない。人類の歴史は六段階に分けて、その一段階ずつ様子を描いたのかもしれない。ニューギニアの原住民も、我々から見れば何の意味もないような文様に民族創生の物語を託していると聞くが、或いは我々から見れば何の意味も分からないこの土器の文様にも、そうした意志が示されているのではないかと想像されるのである。

 それは考えすぎかもしれないが、装飾的にもこれは実に面白いのである。どこかでミロの絵を見るような感じさえする。

長野県富士見町 藤内遺跡


A        人面風の大把手の付いた深鉢 長野県富士見町井戸尻遺跡出土

 この四つの把手の付いた土器もまさに素晴らしい美術品である。あの勝坂式の特徴である蛇状の文様は、決められた形を乗り越えて土器の外側へ進出していったように見える。この四つの把手は何を象ったものであろうか。人間の顔のようでもあるが、はっきり分からない。人間の顔とすれば、どうしてここに人間の顔を付けたのであろうか。確かに耳の部分は穴を開けて作られてはいるが、これはもういつもの形の外に出ようとするあの蛇に似た勝坂式土器の芸術的意志が、四つの顔面に結集して人間のような顔をして、万歳を叫んでいるとしかいいようがないのである。長野県富士見町 井戸尻遺跡


B        渦巻きの湧き上がる深鉢 長野県富士見町曾利遺跡

この曲線の素晴らしさはどうだろう。この頭も間違いなく蛇の頭であり、この動きも又蛇の動きかもしれないが、しかしこれは素晴らしい力感溢れる芸術なのである。まさにそれは昇天しようとする蛇なのである。蛇の霊が地上をのた打ち回り、地上のいたるところに巨大な穴をあけ、そして今や絶叫して、天に昇らんとするような、そんな土器なのである。

長野県富士見町 曾利遺跡

C 異形なるものと呪術

 異形なるもの、非日常的なもの、これらは縄文人の精神世界に深い関わりがある。特に注目すべきことは、その中には従来あまり正面から取り上げられることの少なかった「性的な表現」が多数含まれていることである。日常的な生活文化との関連を考慮しながら、具体的な遺物を通して縄文人の心を覗いてみよう。

 酒に伴うマジカルな芸術

 まず土器においては、異形なるものはその装飾に始まり、器形に及ぶ。その造形感覚は甚だバラエティーに冨み、我々の発達過程をシンボリックに示しているものとして、まず「有孔鍔付土器」があげられる。これは果実酒を発酵させるための樽のようなものであり、中部地方を中心に縄文前期(今から約7000年〜5000年前)に出現する。初めは何故か扁平であるが、縄文中期(約5000年〜4000年前)になると丈が伸びて大型化し、樽らしい形になってくる。そして、文様も一般の土器とは異なり、とても正常とは思われない人体や顔面、又蛇などが表現されるようになる。

 こうした文様の特異性もさることながら、土器の大型化に示されているアルコール醸造の発達、そしてそれを必要とする社会的な変化が極めて注目されるのである。神崎宣武氏によると、酒は古来日常的に飲まれることなく、特別な日に飲むものとされていて、飲酒が日常化したのは明治時代以降であると言う。縄文時代の場合も、酒の原料は米ではなく果実であったという違いこそあるものの、やはり特別な日にのみ飲まれたことであろう。

 「祭りの器」の発達

 地域的にも時期的にも、この有孔鍔付土器と並行して発達したのが、動物などをモチーフにした「装飾把手」を備えた土器である。縄文土器の中心的な器形である。「深鉢形」の土器は、この時期から、装飾性の高い「精製深鉢」と実用性のみを重視した「粗製深鉢」とに分離するが、特にその精製深鉢形土器の口縁部に装飾把手などが発達するのである。

 縄文前期には、猟犬として縄文人とは極近い関係にあったイヌやイノシシの頭部が装飾把手として付けられるが、縄文中期になるとマムシや鳥、それに人面や人体までもが付けられるようになる。

 又、イノシシとしばしば対になるマムシは、それらの観念をさらに深めたものと考えられる。藤森栄一は、縄文人は母親の腹を食い破って生まれてくるマムシの子供を見て、厳しい自然界の節理とたくましい生命力を感じたことであろうと述べている。これはまさしく「再生」の観念を示しているのであり、縄文人はイヌやイノシシにも同様の感じを抱いたことと考えられる。

 

 動物文の有孔鍔付土器 

 低い樽形の有孔鍔付土器の胴部に4個の区画を設け、その中に天の邪鬼のように上から押さえつけられ、両足を踏ん張っている動物が表現されている。その彫りくちの鋭さは、中国古代の青銅器を思わせるものがある。

長野県原村 大石遺跡

 三段にくびれた有孔鍔付土器

 赤褐色の肌がよく磨かれていて美しい。それともたっぷりとアルコールを吸い込んだ照りのせいであろうか。

長野県茅野市 長峯遺跡


C        土器にあらわれたシャーマン

 深鉢の口縁部の人物は、呪術をこととし、忘我の状態で神と人々との仲介をなす「シャーマン」を表している。あたかも土器の向こうから人々を見下ろし、神の言葉を告げているようだ。

長野県伊那市 月見松遺跡


D        寄り添う男女

 この双口土器も男女を示している。縦の沈線と雷文はお互いの土器の主体性を静かに示し、横に二本回る隆帯は優しくお互いを抱き合う腕のようで、野の仏である道祖神を思わせる。見るものに安らぎを与えてくれる、私の最も好きな土器の一つである。 長野県茅野市 市ノ瀬遺跡

E        神の灯をともす土器

 縄文中期に発達する「吊手土器」も、形態ばかりでなく装飾性においても極めて特徴的である。これについて藤森栄一は「神の灯をともすランプである」と述べている。この吊手土器の系譜をひくのが縄文後・晩期の香炉形土器なのである。

 吊手土器の上部には動物や人面などの装飾が顕著であり、とりわけ人面の付いた長野県御殿場遺跡出土例について神話学者の吉田敦彦氏は「燃え盛る火の神カグツチを生み、その火によって陰部も焼かれて苦しみながらも穀物などを生んだ日本神話の女神イザナミを思わせる」と指摘している。これも人面把手付深鉢土器と同様に、再生観念を示している好例である。

身を焼かれた女神  背中のうねうねとした貼り付けは、長く伸ばした髪の毛を色々束ねて結び、最大級の正装をしている女性のようである。身を焼かれ新しい生命を生み出す女神に相応しく、丹念に飾り挙げられたものであろう。

長野県伊那市 御殿場遺跡

F        吊手土器の女神

 両肩にはカールした髪の毛が下がり、華やかに装った女神を思わせる。

長野県原村 前尾根遺跡


G 壷を抱く妊婦

 壷を抱えているようなかっこうの左腕や右手先、太腿などはデフォルメされて爬虫類を思わせるような文様が施されているが、身篭った腹部や臍などは実にリアルに表現されている。長野県茅野市  尖石遺跡


H     お尻の大きな土偶

「縄文のビィーナス」と呼ばれるこの肉感的な土偶の髪形も独特である。長い髪を束ねて頭頂部と両サイドで渦状に巻いたしゃれたもので、現代でも流行そうである。長野県茅野市棚畑遺跡


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