長野県の土器特集・其の2

      長野県の特集第2部

       「人間の美術」(監修・梅原 猛)

      「遺物」から「芸術品」へ

  岡本太郎には表現の魔術師のようなところがある。彼が身振り手振りで縄文土器は素晴らしいと語ると、あたかもそこにあった土器が神聖な芸術の光を発するようである。まさにこのようにして縄文土器は芸術になったと言ってよい。

 勿論それ以前にも縄文土器の美に魅せられた人が数多くあった。縄文土器が多く出土するところへ行くと、よく縄文土器に魅せられて、商売をほったらかしにして、あちらこちらを発掘して歩いた町の考古学者の話を聞く。土器を発掘したのだから、考古学者と名のるより仕方がないが、実は彼らはやはり芸術家であり、あの縄文土器の美しさの魅せられて、自分の商売をほったらかして、当時まだそれほど厳しく禁止されていなかった文化財の発掘、或いは盗掘を続けたのであろう。しかし、彼らがどのように縄文土器の美に魅せられたとしても、それであおのまま縄文土器が芸術品になるわけがなかった。芸術品になるには、やはり玄人の鑑定が必要なのである。芸術の本場パリに長年留学し、輝かしき前衛芸術の旗手であった岡本太郎にまさる鑑定家はない。岡本太郎のあの熱狂的な賞賛によって縄文土器は芸術の高みにあがったわけである。(抜粋)

 芸術について語るにはやはり「モノ」から出発しなければならない。私はモノを見ない、そしてモノに対して飽くことない好奇心を持たないような評論家や芸術家を信用しない。それ故やはり、縄文土器の鑑賞から出発したい。

    @        耳と目のモチーフの深鉢

 これは又何と不思議な土器であろうか。二つの耳を横にしたような把手を四方につけて、その間にまた今度は耳を縦にしたような飾りを付けている。両耳の間には六つ付けている。又、耳の間に一つずつ目のようなものを付けている。これは耳と目をモチーフにした鉢と言ってもよいであろう。そして、地になる文様は竹で付けられた文様である。口の辺りは横線で、胴の辺りの縦線及び斜線が真に自由で、しかも真にダイナミックな流れを構成しているのである。この耳のようなものを耳と思うのは私たちの錯覚なのだろうか。目のようなものを目と思うのは、私たちの考えすぎなのだろうか。そうではないと私は思う。縄文人たちは、私たちより遥かに形や意味を持たせたに違いないのである。この耳と目をテーマにして作られた奇妙な鉢には、巨大な呪術的意味が込められていたに違いないと思う。その呪術的意味が、この鉢に世にも不思議な芸術性を与えているのである。

  @        耳と目のモチーフの深鉢 長野県茅野市下島遺跡出土

    A        マムシの這う深鉢

縄文土器は日本の至る所でこのような素晴らしい土器を生み出すが、何と言ってもその圧巻は「勝坂式」と称せられる土器であろう。この勝坂式の土器は信州から甲州にかけて、大体八ヶ岳山麓に栄えた土器である。私はこの土器に魅せられて、何度かこの辺りをさ迷って多くの土器を見た。其の時は正体を容易に掴めなかった。何か不思議な文化がここで縄文中期に花咲いたことに間違いないと思われるが、それが一体どういうものであるかは、さっぱり分からなかった。勿論今でもよく分からないが、色々のことを総合すると、多少その意味が分かり始めたように私は思う。

 この勝坂式土器の特徴は動物の文様が多いことである。その動物の文様の第一は蛇である。それは蛇を中心とした土器だと言って良いかもしれない。例えば、この土器で、胴体の文様は不規則に斜行する縄文であるが、口辺部の装飾が凄い。それは装飾というにはあまり不気味である。一匹の蛇が今にも飛びかかろうとしている。頭が三角のところを見るとこの蛇はマムシである。そして、強い攻撃的意志を示している。蛇体は幾重かにつくられているので、どこまでが装飾の線なのか分からないが、丁度未来派の芸術のように、あの時間間隔をおいての蛇の姿を、一つの形にしたようなように思われる。蛇は這い回り、とぐろを巻き、そして獲物を襲う。その動きを一つの形に形象化したのであろうか。尻尾に巻かれたように見えるのは、蛇が卵でも飲もうとしている様子であろうか。又、蛇に殺された動物の姿を示しているのだろうか。

 これは縄文中期のものであるが、蛇の文様は八ヶ岳山麓においては繰り返し表現されているテーマなのである。

    B        マムシの這う深鉢 長野県茅野市尖石遺跡

      B 「イノヘビ」家族の吊手土器

 勝坂式土器では、蛇ばかりではなく、色々な動物が現れる。

 この土器も大変面白い土器である。確かに蛇は這い回り、とぐろを巻くのが普通であるが、これは蛇のようでもあり、又見ようによってはイノシシのようにも見える。イノシシは蛇と共に縄文時代の土器や土偶に最もよく現れる動物である。私にはイノシシは、日本の本州において、丁度熊が北海道のアイヌにおいて持っていたような意味を持っていたのではないかと思われる。

 日本では、イノシシや鹿のことを同じように「シシ」と言うが、シシと言うのは「おもな肉」という意味ではないかと思う。と言うのは、アイヌにおいて「シビ」、即ち「おもな魚」と言うのはサケのことであるが、日本の古代語ではシビと言えばマグロのことである。最も美味しい肉を最も大量に提供する魚のことをシビと言うのであろう。それと同じように、最も美味しい肉を最も大量に提供する動物がシシなのであろうか。シシは或るところではイノシシであり、或るところでは鹿である。それでイノシシも鹿も同じようにシシという名が付けられたのであろう。

 色々な所からイノシシの埋められた骨が出てくる。そのイノシシの頭は規則的に、放射状に並べたものが多い。それは丁度アイヌの人たちが熊送りに使った熊の骨を放射状に並べるのと同じようである。恐らく日本の本州においては熊祭りの代わりにシシ祭りがあり、イノシシはやはり人間を訪れ「客人(マラプト)」として殺され、そしてその肉を食べられ、その霊をあの世に送られたに違いない。

 私は日本の各地に残るあのイノシシの骨を規則的に埋めた遺跡ばかりではなく、縄文文化の栄えた、例えば越後とか岩手、陸奥に残るシシ祭りも、このシシ送りの祭りの名残であると考えている。

 若しも、この蛇とシシを同時に一つの土器の中に表現したならば、これは大変都合のいいことであろう。最も恐ろしい神と、最も有難い神とをもつこの土器は、ある角度から見れば最も有難い神に見えるとすれば、それは縄文人の神の観念を、まことに明確に、又、ユーモアに表現していると言えるであろう。

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      B 「イノヘビ」家族の吊手土器 長野県諏訪市・穴場遺跡

     C        獲物を狙うマムシの深鉢 長野県富士見町曾利遺跡

 ソロリ、とぐろを解きながら、狙い定めた獲物に忍び寄るマムシが口縁部を這っている。ピット跳ねた尾ととぐろをのせた突起は、マムシの様子に一層不気味さを加えている。

                   長野県富士見町 曾利遺跡

      D 謎の動物の群がる吊手土器

  長野県の縄文中期の土器には多くの正体不明の動物が出てくる。これは又、実に面白い土器であるが、一体何に使われたのであろうか。把手が付いているので上から吊り下げられたに違いないが、実に面白い形である。

 文様の中心はやはり蛇の形であるが、その口辺の上ついている四つのものは何かよく分からない。ナメクジのようにも見えるし、亀のようにも見える。親蛇の上に子供の蛇が乗ったものであると見る人もいる。なんとも妙なものである。

                  長野県富士見町 札沢出土


                         長野県富士見町 札沢出土

     D        蛙のような人物の有孔鍔付土器     長野県富士見町・藤内遺跡

 この文様も実に奇怪である。この土器の口辺の部分には穴が開いている。それはやはり酒を発酵さえるのに用いたと考えるべきであろうが、その下に付けられているこの文様は何であろうか。それは人間のようにも見える。頭の上の二つの丸いものと総合して考えるとUFOに乗って地球にやってきた宇宙人とも考えられる。或いは本気で宇宙人説をこの土器によって立証したい誘惑すら感じる絵である。

 目は古代人にとってやはり再生の原理であるが、あるいはそのような深い意味をこの絵は示しているのであろうか。この人間とも蛙とも知れない動物の指は三本なのだが、何故三本でなくてはならない理由があったに違いない。

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八ヶ岳西南麓縄文遺跡地図 双眼深鉢 みづち文深鉢 乳房状口縁大深鉢 菱形蛙文系大深鉢
蛇文蒸器 蛇文壷 菱形蛙文深鉢 両耳椀 神像文系深鉢
眼を戴く神像文系深鉢 区画文筒形
土器
双眼五重深鉢 蛇を戴く土偶 半人半蛙文有孔鍔付土器
神像筒形土器 蛙文鉢 四方に目を持つ大鉢 区画文筒形土器 十字文筒形土器
片目を戴く神像文系深鉢 楕円区画文深鉢 蛇文双眼深鉢 眼を戴く変形みづち文深鉢 他の特殊土器

                

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